万葉集の集い



カテゴリ:[ 趣味 ] キーワード: 万葉集


77件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[77] 足利万葉歌碑(続)

投稿者: 今林 弘 投稿日:2015年12月 6日(日)17時14分2秒 softbank060148105221.bbtec.net  通報   返信・引用

万葉歌碑と関所跡の写真です。

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[76] 足柄万葉の歌碑(続)

投稿者: 今林 弘 投稿日:2015年12月 6日(日)17時07分16秒 softbank060148105221.bbtec.net  通報   返信・引用

岡本さん、精力的に歩いてますね。大雄山と聞いて懐かしい思いをしたのですが、近くの狩川沿いにも万葉歌碑があります。例の『万葉の旅ー西日本・東日本編』234ページの「箱根・足柄・鎌倉」の冒頭の歌です。

 足柄の 箱根飛び越え 行く鶴の ともしき見れば 大和し思ほゆ    巻7-1175

後追いの情報で申し訳ありませんが、実は2011年4月、箱根の森美術館での展覧会イベントに参加した帰途、
ここに立ち寄り、夕刻この歌碑を探索した後ホテルとざん大雄山に一泊し、翌朝、岡本さんと同じく関本バス停からバスで足柄万葉公園や関所跡等を見学に出かけました。

今年の8月は、足柄古道を歩いてみたくてツアーに参加したわけです。古道歩きは案内役がいないと、一人ではちょっと不安でしたから。

歌碑の所在地ですが、大雄山駅前から南西に300mほど行くと狩川に出ます。上流に向かって大雄橋を少し通り過ぎたところに、川沿いにこの万葉歌碑(映像はアルバムからの再生です)があります。もう少し先にも、
もう1か所万葉歌碑があったと記憶しています。

『万葉の旅』にも目を通しながら、旅の追憶を楽しませて貰いました。

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[75] 足柄万葉公園の歌碑

投稿者: 岡本信夫 投稿日:2015年12月 2日(水)11時31分16秒 124-144-122-193.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

 8月の今林さんのお話しをお伺いして、是非行ってみたいと思いつつ、10-2266の歌ではありませんが、今日今日と言ふに月日を経てしまいました。

 大雄山から足柄万葉公園行きのバスは4月~11月の土・日・祝日のみ1日2回運行。従って11月29日(日)は今年の最終運行日となります。そこで文字通り最終便となる大雄山12時50分発のバスで出掛けてきました。

 公園と言っても、金時山から足柄峠を経て続く細い尾根筋に踏跡程度の道がつけられているだけ。そしてその脇に点々と、これは立派な歌碑が7基建てられています。足柄を詠った万葉歌は15首ありますが、そのうちの7首が歌碑として建てられています。写真の碑もその一つ。歌は、

 足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は 清に見もかも (巻20-4423)

 作者は埼玉郡の上丁藤原部等母麻呂。等母麻呂は防人として西国へ向かいますが、この足柄峠を越えるともう武蔵の国は見ることができません。今度家族に会えるのは3年後。いや無事に帰ってこられるかどうか、その保証はありません。等母麻呂はここで、どんな思いで袖を振り家族に別れを告げたのでしょうか。

 ここから家なる妹が見える訳がありませんが、袖を振るというのは、その見えない相手の魂に働きかけてその魂を振り起こすことにある訳ですから、自分が妻のことを思っていることが通じ、妻にも自分のことを思っていてもらいたいと願っていたのでしょうね。

 7基の歌碑を回り、写真を撮ってバス停に戻ってくると、最終バスの発車時間まで10分余りしかありません。もう1個所関所跡に行きたかったのですが、今の私のヨタヨタ歩きでは往復するには少々時間が足りません。残念ながら又の機会と諦め、14時35分発のバスで下山しました。乗客は私一人。今年最後の客となりました。

 翌日は小田原城に行きましたが、こちらは耐震工事とかで、天守閣は足場組のパイプですっかり覆われておりその雄姿を見ることができませんでした。来年5月に再訪です。



[74] 下妻・大宝八幡宮の歌碑

投稿者: 岡本信夫 投稿日:2015年11月23日(月)14時23分17秒 124-144-122-193.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

 下妻・大宝八幡宮にある万葉歌碑を訪ねました。
 八幡宮境内には3基の歌碑と歌の刻まれた1対の燈籠があります。これはその内の1基。本殿に向かって右手にある鐘楼の前に建てられていて、碑面には巻20-4369の防人・大舎人部千文の歌が原文で刻まれています。

 都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈思家伊母曾 比留毛可奈之祁

 揮毫者は犬養孝。建立者は東歌研究会長で地元下妻の大木昇・百合子氏。建立日は平成22年7月25日。碑面の書は犬養孝生前の色紙によるものだそうです。
 読み下し文は、境内参道左脇のもう一つの歌碑にあります。

 筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも かなしけ妹ぞ 昼もかなしけ

 歌意は、筑波嶺に咲く小百合の花のように、夜床でも愛しい妻は昼間でも愛しい。
 作者の大舎人部千文は常陸国那賀郡の人ですが、同じ作者の歌がもう一首あります。

 霰降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍士に 我は来にしを (巻20-4370)

 常陸国の防人として西国筑紫へ旅立ったのは良いが、故郷に残してきた愛しい妻のことが忘れられず詠ったのが1首目。しかし、そんな女々しいことは言っておられない。俺は天皇の兵士としてやってきたのだから、と気持ちを鼓舞しているのが2首目の歌。どちらが本音でしょうか。同じ歌の歌碑が2基、同じ場所にあるのも珍しいですね。

 境内にあるもう1基の歌碑は、高橋虫麻呂の筑波山に登る歌、9-1757と1758。そして狛犬1対(2基)の台座には14-3350の歌が左右に読下し文と原文がそれぞれ刻まれていました。

所在地  下妻市大宝667
アクセス 関東鉄道常総線大宝駅から徒歩3分



[73] 阿須(崖)の写真

投稿者: 岡本信夫 投稿日:2015年11月 8日(日)10時45分28秒 124-144-122-193.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

 おはようございます。

 阿須(崖)の写真ですが、不注意で意識して撮っていませんでした。添付の写真は公園へ向かう川沿いの遊歩道から撮ったものです(はっきりしませんが)。

 手前の桜の木が重なって分かりにくいと思いますが、左は崖になっていて、その上が台地で武蔵野音大付属高校や幼稚園があります。この部分グーグルの航空写真で見ますとよく分かります。右手が入間川で、その先に駿河台大学があります。少し拡大していただくと分かるかもしれません。万葉時代はどんな風景だったのでしょうか。

 歌碑も全国で2000余りあると言われていますが探すのが大変。良く調べて行っても現地では草葉の陰に隠れていたりして探すのに苦労します。すぐ近所の人に聞いても知らない人がいますね。

 それにしてもずいぶん歩いている人もいますね。私は次のWEBを参考にさせていただいています。

 http://achikochitazusaete.web.fc2.com/

 http://www5a.biglobe.ne.jp/hpkoto/ara/manyou/index.html



[72] 阿須の万葉歌碑

投稿者: 今林 弘 投稿日:2015年11月 7日(土)20時44分35秒 softbank060071124174.bbtec.net  通報   返信・引用

岡本さん、さっそく再度巾着田に行かれましたか。それにしても、阿須の万葉歌碑、今度は小生が見逃しました。東飯能の近くにあったとは! 結構あちこちに隠れた万葉歌碑があるものですね。

中西 進さんの読み下し文を見ると、「崩崖(あず)の上に駒をつなぎて・・・」とありますから、阿須の意味を踏まえての読み下しということでしょう。

ところで、もしその崖の写真を撮っておられるようであれば、ちょっと見たい気もしますがいかがでしょうか。

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[71] 阿須の万葉歌碑

投稿者: 岡本信夫 投稿日:2015年11月 6日(金)14時32分22秒 124-144-122-193.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

 過日巾着田を訪ねたとき気が付かず、今林さんの情報で残念な思いをしましたので、昨日再び訪ねてしっかり撮ってきました。前回すぐ側の橋を渡ったのですが、あまりにも見事な曼珠沙華と人出の多さに気を取られ見過ごしていました。(笑)

 無事鑑賞を終えた帰り、一つ手前の東飯能で下車、双柳の浅間神社にお参りして阿須運動公園まで歩き、公園の一角にある、巻14-3539の歌碑を見てきました。

 阿須運動公園は、西武池袋線元加治駅の南20分ほどのところにある入間川の河川敷公園。その一角に万葉広場があり、立派な歌碑が建てられていました。碑面には巻14-3539の東歌が原文で刻まれています。

 阿受乃宇敝尓 古馬乎都奈伎弖 安夜抱可等 比等豆麻古呂乎 伊吉尓和我須流

 読み下し文  阿須の上に 駒を繋ぎて 危ほかど 人妻子ろを 息に我がする

 意味は、崖の上に駒を繋いで、はらはらしながら見ているように危ないけれど、人妻のあの可愛い人に命懸けで私は思っている。
 人妻に手出しをすることは禁じられており、破れば厳しい制裁を受けるのはいつの時代も同じですが、そんな危険を冒してでも好きになってしまったということでしょうか。

 この歌碑は、平成8年3月に、当地の地権者53名、古典の会、歌人の会等の協力で設立された万葉歌碑を建てる会によって建てられたそうです。ここに建てられたのは、当地が飯能市阿須地区だからでしょうか。阿須というのは「崩れた崖」という意味で、この公園の南側には大きな崖が屏風のように連なっています(最近崩れたと思われる跡も見えました)。今の地名もそれに由来するのでしょう。この歌も古くからこの辺りで詠われていたのかもしれません。鎌倉の見越しが崎の歌のように。



[70] 高麗の里

投稿者: 今林 弘 投稿日:2015年10月24日(土)21時24分9秒 softbank060071124174.bbtec.net  通報   返信・引用

岡本さんの高麗の里の探訪レポート、大変参考になりました。
のんびりと云うより、しっかり見てきましたね。
小生も巾着田から足を伸ばして見てきたような気分になりました。
楽しませてもらいました。

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[69] 高麗の里

投稿者: 岡本信夫 投稿日:2015年10月 8日(木)10時34分54秒 124-144-122-193.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

おはようございます。
高麗の里のアルバム、下記にUPしておきましたので、
お暇な時覗いていただければ幸甚です。(中身はありませんが(-_-;)

http://okamoto-n.sakura.ne.jp/machi/saitama/koma/koma.html



[68] 巾着田のヒガンバナ

投稿者: 今林 弘 投稿日:2015年10月 6日(火)21時54分9秒 softbank060071124174.bbtec.net  通報   返信・引用

やっぱり巾着田でしたか。写真からみてそうではないかと推測してはいたのですが・・・
歌碑の位置は駐車場から彼岸花園への入口付近でしょうか。巾着田の案内地図に書いておいて貰いたいですね。

716年はご指摘のように、元正天皇が正しいようですね。続日本紀を確認しなかったので、思い違いでした。

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